松尾芭蕉の俳句の中のむし歯

現代人を悩ませている『むし歯の悩み』って、今の時代だけなのでしょうか?
いえいえ、歯の悩みはどんな時代にもあったようです。
日本の“ わびさび ”を代表する俳句から、江戸時代にタイムスリップして当時のむし歯事情を想像してみましょう。

1、昔の人もむし歯になったの?

時代とともに、食生活や生活スタイルはずいぶんと変化しました。ですが、はるか昔の生活を俳句から読み解いていくと、お口の健康に関する悩みは、今も昔も変わらずあったことがわかります。それどころか、当時は今のように治療が進んでいなかったため、多くの人が歯を失ってしまうほど、症状が悪化することが多かったようです。
そんな「歯」に関連した俳句は、古くは江戸の時代からありました。

2、俳句の中のむし歯

江戸時代を代表する2人の俳人も、実は私生活では、歯が痛くて悩んでいたそうです。その痛みや苦しみさえも風情ある俳句にしてしまうなんて、さすがとしか言えません。ですが、本人たちはそれはそれは大変だったことでしょう。

松尾芭蕉

江戸時代前期に活躍し、日本でその名を知らない人がいないほど有名な、松尾芭蕉。旅をしながら、美しい自然を旅情たっぷりに詠んだ「奥の細道」が、代表作として知られていますよね。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」など、趣のあるわびさびを織り込んだ多くの俳句は、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。ですがそんな芭蕉も、歯の悩みを抱えていました。
そのことがわかる俳句が、こちら。

「 結ぶより 早歯にひびく 泉かな 」

 

手に泉の水をすくうと、口へ運ぶより先に、水の冷たさが歯にしみるように感じる。
(その他の解釈もあり)

「 衰へや 歯に喰いあてし 海苔の砂 」


芭蕉が海苔を頬張ったときに、混じっていた砂を噛んでしまい、ズキンと痛みを覚えたその瞬間に身の衰えを切実に感じた。

これらの句は芭蕉が四十代の頃の俳句とされていますので、加齢にともなって歯ぐきが弱まり、歯周病が加わっていたのではないか?と想像されます。歯の状態から体の衰えを痛感し、嘆く気持ちを句で表現しながら旅をしていたのでしょうか。

小林一茶

むし歯に悩まされていたのは、芭蕉だけではありません。「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」などの俳句を残した、江戸時代後期に活躍した小林一茶は、49歳のときにはすべての歯が抜けてしまったようです。65歳で亡くなったそうなので、晩年はずいぶんと不自由な生活だったことが想像されます。

「 歯が抜けて あなた頼むも あもなみだ 」

 

最後の歯を失って歯の大切さを悟り、「南無阿弥陀」の唱えようとするが、歯が無いため「なむあみだ」ではなく、「あもあみだ」となってしまう。

自虐的にも捉えられるユーモアと悲しさをまじえて、このような句を詠んでいます。入れ歯はまだ広く普及していなかったようですから、その後の食生活を想像すると、晩年の苦労がうかがえますね。

3、江戸時代のむし歯治療

江戸時代に国内で初めて製造された歯ブラシは、鯨ひげの柄に馬の毛を植毛したものでしたが、なかなか広まらず、歯ブラシが本格的に普及したのは大正時代になってからだそうです。
また、江戸時代の人の骨を調べると、年齢を重ねたときに健康な歯を維持することが難しく、歯を失ってしまう人がとても多いことがわかるそうです。
当時の口中医や入れ歯師と呼ばれる人たちによる治療は、薬の塗布や抜歯がメインだったようで、むし歯治療はまだまだ進んでいなかったというわけですから、それも納得です。

現代でも有名な俳人が、当時むし歯で困っていたなんて、有名・無名にかかわらず、歯の悩みは万人共通だったのですね。少し親近感さえ湧いてしまいますが、むし歯や歯周病を甘く見ると歯を失ってしまう怖さは、江戸の頃から変わらないことがわかりました。
歯に令をつけた「齢」を「よわい」と訓み、人間の年や人生・生命を示しているのも、まさに人間の歯の変化が、その人の齢を表すことからきているのでしょう。

ですが江戸時代とは異なり、今は歯の治療だけでなく、予防に力を注ぐこともできるようになりました。松尾芭蕉や小林一茶のようにお口の悩みを抱える前に、日々のメンテナンスを心がけて、気になることがあればぜひ早めに相談してくださいね。